街道が交差する交通の要衝にあり、戦略上重要であるとして武田信玄も重臣の山県昌景を城将として配置したこともある山城。城跡には曲輪、土塁、空堀、堀切、竪堀、馬出しなどが現存していて、ここまで良好な状態なのは山城の中でも珍しいといえる。
2021年5月29日
城址入口
鳥瞰図
外曲輪
土橋
北曲輪
土塁
二の曲輪
堀切
枡形虎口
本曲輪
平虎口
喰違い虎口
主郭見取り図
馬出曲輪
眺望
大手曲輪
説明看板
丸子城は、丸子川に沿って走る東海道を眼下にみる自然の要害に築かれている。創築年代は明らかではないが、今川氏による駿府支配がはじまる南北朝時代にまで遡ると見られる。
1568年(永禄11年)甲斐の武田軍の駿河侵攻によってこの地も武田軍の勢力におかれ、山県昌景などの武将が在城した。この武田軍が在城した時期に丸子城は大規模な改築が行われた。いわゆる甲州流築城法である。
その後、駿河が徳川の時代になった際に一時松下備後守が在城したが、家康の関東移封とともに廃城になったと考えられている。

丸子城は三角山の頂上に築かれていて、頂上の本曲輪に向かう尾根の上に、地形に応じた大小の曲輪が、堀や土塁、虎口などを組み合わせながら連なるように配置されている。また主な曲輪郡の周囲には横堀や竪堀、要所に設けられた出曲輪などを効果的に配置し、さらには自然の急斜面も防御の盾に利用するなど、巧みな山城の縄張りの様子をみることができる。
基本情報
城郭構造 山城
築城主 斎藤安元
遺構 曲輪、土塁、空堀、三日月堀
堀切、竪堀、馬出し
主な城主 山県昌景、屋代勝永
廃城年 1590年(天正18年)
指定文化財
地図