二俣城(ふたまたじょう)は静岡県浜松市天竜区二俣町二俣にあった城。家康の長男信康切腹の地。天竜川と二俣川が合流する手前で形成している台地の先端部に築城されている。天守台には石垣が使われており、他の土塁部分にも石垣が使われていた形跡が残っている。
撮影日 2014年3月24日
登城口
堀切
旭ヶ丘神社
天守台
本丸には小規模ながら野面積の天守台が存在する。現存する遺構は大久保忠世在城時代のものである。
天守台より展望
天守台石垣
二の丸
案内看板
二俣城は標高40mの丘陵上に北曲輪、本丸、二の丸、蔵屋敷、南曲輪が直線状に配置された縄張りである。天守台のある本丸の北と南に虎口を設けて、北は喰い違い虎口となっている。また本丸西側には天守台が残っており、野面積みの石積みである。南側は二の曲輪があり、桝形門跡がある。さらに蔵屋敷と南曲輪、二の曲輪と蔵屋敷の間にはそれぞれ堀切がある。
徳川信康自刃事件
信康と築山御前が武田氏と通じていたことを理由に、織田信長が信康を切腹させるよう命じたとされている。
家康はこれをうけて信康を天正7年(1579年)9月15日、二俣城で切腹させた。
基本情報
城郭構造 連郭式山城
主な改修者 大久保忠世
遺構 石垣、土塁、堀
指定文化財 国の史跡
別名 蜷原城
地図
パンフレット