北条綱成との戦いで武田信玄は「深沢矢文」という矢文による降伏勧告で北条方の士気を落とし、また「土竜攻め」といった金山衆を使った破壊工作で攻城戦を行ったとされる。遺構の多くは田んぼになっているが、丸馬出や三日月堀などの武田流築城法が垣間見れる。県の指定史跡。
2021年5月23日
石碑
深沢城は戦国時代に駿河の今川氏が築城したと伝えられている。
その後小田原の北条氏が占領して、黄八幡で有名な北条綱成が守備していたが、元亀元年(1570年)11月、甲斐の武田信玄が包囲し、金山衆などを使って攻め立てた。翌元亀2年1月3日、信玄は深沢城に有名な矢文を送って開城を迫り、ついに綱成は藤沢の玉縄城に退き、その後は武田氏が支配した。
北条氏は奪還を試みたが失敗し、深沢城は武田氏の所有となり武田氏の重臣のひとり駒井右京之進が城主として居城した。
天正10年(1582年)武田氏没落に際し右京之進は城を焼いて退去した。
やがて天正12年(1584年)徳川家康が織田信雄に加勢して小牧山で豊臣秀吉と戦った際に、この時期を最後に廃城となった。

城址は抜川と馬伏川に挟まれた自然の台地を利用した、ニ鶴様式で築かれ、また武田氏城郭といわれる三日月堀や土塁などが残り、戦国時代の城址として全国でも重要な存在である。
昭和35年4月23日、静岡県指定史跡に指定された。
三日月掘
詩碑入口
下馬溜
二の丸
本丸
食糧庫跡
二鶴様式の堀跡
八幡宮
大手門
基本情報
城郭構造 山城
築城主 今川氏親
遺構 曲輪、丸馬出、三日月堀
土橋、移築門
主な城主 北条綱成、駒井昌直
廃城年 1590年(天正18年)
指定文化財 県史跡
地図