戦国時代、北遠に君臨した天野氏の居城。天野氏ははじめ今川義元に仕え、桶狭間後は武田方についた。その後1576年徳川家康に滅ぼされ甲斐へ逃亡。本城は東海自然歩道沿いにあり、よく整備されている。
撮影日 2021年5月9日
登城口
本曲輪

物見曲輪
眺望
城内説明文
犬居城は領主天野氏の居城だったもので、行者山(標高250m)の頂き東西600m南北650mに広がる中世城郭跡は静岡県史跡に指定されている貴重な文化財である。断崖絶壁の南側に対し比較的なだらかで攻撃を受けやすい北側と西側には物見曲輪、本曲輪、東曲輪などが配備され、現在も空堀や堀切等の遺構が確認できる。

居城主である天野氏は、承久の乱(1221年)のあと山香庄に地頭として入り、北遠地方を代表する在地領主となった。鎌倉時代には幕府の御家人として活躍したが、南北朝時代には一族が北朝、南朝と分裂し争うようになる。後に北条方一族が勢力を大きくし、室町時代から戦国時代にかけて国人領主に成長した。戦国時代には今川義元の忠実な家臣として北遠の要に位置付けられていたが、桶狭間の戦いで義元が討たれたあと、徳川家康の駿河侵攻が本格的に始まり徳川に属することとなった。しかし領国美濃の武田信玄の圧力と巧みな勧降工作により信玄に寝返ってしまう。これに激怒した徳川は犬居城を攻撃、一度は徳川軍を後退させた天野氏だったが、2度目は守りきれず甲斐に落ち、北遠の地に戻ってくることはなかった。
基本情報
城郭構造 連郭式山城
主な城主 天野氏
遺構 曲輪、土塁、堀切
指定 県史跡
地図