諏訪原城(すわはらじょう)は静岡県島田市金谷にあった城。丸馬出など典型的な武田氏築城術が見られる。家康に攻略されたあとは牧野城と名を変えて大規模改修を繰り返した。現在は、国指定史跡として堀、土塁、曲輪など多くの遺構が残る。本曲輪からは金谷の市街地がよく見える。
2014年9月3日
2021年2月14日
東海道金谷坂石畳登り口
すべらず地蔵尊参道
城内案内看板
天正元年(1573年)武田勝頼が家臣の馬場美濃守氏勝に命じて築城しました。現在も空堀、井戸など9割の遺構がほぼ完全な形で残されています。
扇状の形をした山城で、別名扇状ともいわれ、甲州流築城法の典型をみることができます。城内には武田家守護神の諏訪明神が祀られています。
歴史など説明看板
諏訪原城は武田勝頼、徳川家康時代の堀、丸馬出が良好な形で現存し、戦国時代史の過程を理解する上で見逃すことのできない重要な遺跡として国の史跡に指定されています。
当城は天正元年(1573年)武田勝頼が東海道沿いの牧之原台地に普請奉行馬場美濃守、その補佐を武田信豊に命じ築いたと『甲陽軍鑑』などに記されています。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名がついたと言われています。諏訪原城は大井川を境として駿河から遠江に入る交通、軍事上で重要な場所にあり、当日徳川側だった高天神城攻略の為の陣城として、攻略後は兵站基地としての役割を担いました。
天正3年(1573年)に徳川家康によって攻め落とされた後、牧野城(牧野原城)に改名され、武田方となった高天神城を攻略する為の城として活用されました。牧野城には今川氏真や松平家忠らが在城し、『家忠日記』には堀普請や塀普請などの度重なる改修が行われことが記されています。
天正9年(1581年)に高天神城が落城し、翌年武田氏が滅亡するとこの城の必要性はなくなりました。徳川家康が関東に移ったことから天正18年ごろ廃城になったと考えられています。
石碑
三号掘
本丸跡
天主台地
搦手口
眺望
カンカン井戸
諏訪神社
薬医門
模型
歴史略年表
基本情報
城郭構造 山城
築城主 馬場信春
遺構 土塁、曲輪、堀、馬出、井戸
指定文化財 国の史跡
築城年 1573年
地図
パンフレット
御城印
続100名城スタンプ
スタンプ設置場所
諏訪原城ビジターセンター 諏訪原城跡第一駐車場敷地内北側
開館時間 午前10時~午後4時まで
休館日 月曜日及びその日が休日に当たるときは、その直後の休日以外の日 12月29日から翌年の1月3日までの日