後北条氏が武田、豊臣の水軍と戦った水軍拠点。国の史跡として海賊城ならではの多くの遺構を残している。
撮影日 2021年5月5日
長浜城が城として使われたのは、戦国時代の終わりの天正7年〜18年(1590年頃)と考えられている。天正7年の記録では城の建築に関する内容が書かれており、また北条水軍の責任者が長浜に配置されている。
一方で天正18年の記録からは、最終的にこの地の土豪(有力者)が武将として城に立て籠もり敵に備えたことが分かっている。しかし豊臣秀吉の攻撃によって三島市にある山中城が落城するなど、その影響で長浜城も廃城になったと考えられている。
■長浜城の構造と見どころ
戦国時代の水軍の拠点の多くは陸地から離れた島に築かれているが、この長浜城は全国的にも珍しい山城の特徴を持つ水軍の城で、海側と陸側で特徴が異なる。
海側には最も高いところにある第一曲輪を中心に、海と山に向かって曲輪がL字のように配置されているなど、北条氏の城の特徴を見ることができる。
一方陸側には敵の侵入に備えて、山城の特徴でもある多数の土塁や空堀、堀切を見ることができる。
登城口石碑
第四曲輪
第二曲輪 掘立柱建物跡
第二曲輪 堀
第二曲輪 櫓
第一曲輪
第二曲輪
眺望
第二曲輪と櫓
安宅舟原寸大模型
長浜城模型
基本情報
指定 国の史跡
城郭構造 連郭式山城
遺構 曲輪、堀切、土塁、空堀
主な改修者 北条氏政
地図
パンフレット