伊豆を平定した北条早雲によって築かれ、その後も後北条氏の伊豆地域を治める支城として活躍した平山城。1590年の小田原征伐の際に激しい戦闘を経験し、北条方は豊臣方に比べ小さな戦力のなかで約百日間も持ちこたえたといわれている。
撮影日 2017年5月28日
熊野神社
二の丸曲輪
本丸
眺望
城内看板
明応2年(1943年)伊豆に侵攻した北条早雲(伊勢新九郎盛時)によって本格的に築城され、およそ100年に渡って存続した中世城郭。早雲は韮山城を本拠地として伊豆から関東地方へ進出し、戦国大名北条氏の基礎を築いた。永禄16年(1519)早雲が没したのも韮山城である。
北条氏の本拠地が小田原に移ったあとも韮山城は領国支配と防衛の重要拠点であった。天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原攻めの際、4万の軍勢に包囲されたが約3ヶ月に渡って持ちこたえ、小田原城と前後して開城した。その後徳川家康の家臣内藤信成が城主となり、慶長6年(1601)信成の駿府転封とともに廃城となった。

韮山城は通称『龍城山』に所在し、本丸・二の丸などの曲輪や、土塁、堀などが良好な状態で残存している。平時の居館などがあったと思われる平地部分には『御屋敷』の字名が残り、現在は韮山高校の敷地になっている。また周辺には本城を囲むように『土手和田砦』『和田島砦』『天ヶ岳砦』『江川砦』があり現在でも曲輪や土塁などの遺構が確認できる。
模型
基本情報
城郭構造 平山城
主な城主 北条早雲、北条氏規
遺構 水堀、土塁、堀切、郭、虎口
廃城年 1601年
別名 龍城
地図
パンフレット
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