武田氏と徳川氏の攻防戦の際に徳川の本陣が築かれた場所。周囲を天竜川に面した天然の要害である。
撮影日 2014年9月26日
大手道
本丸
展望台
眺望
石垣
搦手門
笹曲輪
城内看板
鳥羽山城は、東西500m以上におよぶ標高108mの独立丘陵を巧みに加工して築城されています。土塁や石垣が良好な状態で残され、本丸内部では礎石建物や庭園が確認されています。また大手道は幅6mを超える破格の規模を誇ります。こうした特徴から、鳥羽山城は迎賓機能を備えた領主の屋敷だったと推定されます。一方隣接する二俣城では天守が築かれ、軍事的な機能に優れた城郭が整備されます。両城はその性格が対照的であり、「別郭一城」であると考えられます。徳川氏と武田氏による攻防の際には、武田方の二俣城を攻めるために鳥羽山城に徳川方の本陣が置かれました。その後、家康の関東移封に伴い堀江氏が遠江に入ると、鳥羽山、二俣両城は石垣が築かれるなど現在の姿に整備されていきました。
基本情報
城郭構造 山城
主な城主 徳川氏
遺構 曲輪、庭園、石垣
指定 国史跡
地図
パンフレット